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みそ汁しる

ジャニーズにはまったのではてなブログをはじめました

Sexy Zoneのサマパラを見ました(ふまけんのみ)

 

取り急ぎ、ふまけんのサマパラを見て、とても面白かったし興味深かったので、その感想をメモしておきます。ただのジャニーズWESTファンで、2015年のソロコンも、セクゾの現場も知らない人間の戯言です。

 

 

菊池風磨の自分史と思春期の終わり。<風 are you?>

 

 

まず、ソロコンっていうのは、こんなにも、その子がどんなアイドルか、ということが如実に浮き彫りになるのか!といった衝撃と、むしろ、そういう、それぞれのカラーを出せるまでになった彼らの成長もあるのだろうなあということと、あと、Sexy Zoneっていうのは、個の乱立がすごいグループなんだな、という印象を抱きました。

その個が吸着して一つのグループとしてまとまり完成度を高めてゆく段階にはまだ至っていなくて(これからだろうなという予感はあります)、それは、風磨が長いこと思春期だったことも影響しているのだろうけど、その前にまず、まだまだ未完成でやわらかな感性をもつ、自分のことのみに必死で未成熟な状態から、突然、グループとして抜擢され束ねられて、あれよあれよという間に華々しくデビューすることにまとわりつく弊害、というのもある気がします。

(わたしはそれを弊害と言ってしまったけれど、バレーデビュー組のそういう宿命や血筋や成長を好む人も、もちろんいるのだろうと思います)

風磨コンを見てまじまじと感じたのは、ああ、彼はやっと、自分の"やりたかったこと"を、気の合うメンバーたちとやりきって、それまでの「"自分"の歴史」に一区切りをつけ、思春期を、青春期を終わらせられたのかなあ、ということで、終始、内に内に向かってゆくような、"自分"を突き詰めるかのような、極めて個人的で、私的な内容のコンサートでした。

本来"大衆的"であるはずの、アイドルのステージには似つかわしくなく。

(しかし、これはこれでよいのだと思う。これは"菊池風磨"のソロコンサートなのであり、風磨のこの姿勢は、とても誠意的なものなのだと感じた。詳しくは後述)

"自分"のやりたいことを、"自分"の見せたいかっこよさを、"自分"の好む服装やダンスを、"自分"の好きなメンバーと。バックなんか関係なく、みんな横並びで、まるで友達同士みたいに。

しかし、彼にはどうしても、それが必要だったのだと思います。とことん"自分"を見つめて、自分の"やりたいこと"をやりきる、その機会が、どうしても必要だったのだと思います。一つの区切りをつけて、前を向くためには。

考えるに、風磨は「やりたいことしかできない」とても不器用なアイドルで、本当のところは、自分の半径数メートルくらいで世界が完結しちゃうような(そこにいる仲間を大事にできたら、究極的にはそれでいい)とても個人的なスケール感覚をもつアイドルで、なのにそんな彼が、"地球"や"時代"といったワードのぽんぽん飛び交う、とんでもなくスケールのでかい浮世離れしたデビュー曲を歌うグループで、デビューすることになった。

そういう前提が、まずある。あった。

2016年の風磨のソロコンは、彼が出演した夏のドラマと奇しくも重なるような形であり、そのコンセプトは、美しいほどに一貫していたように思われます。

"自分"を掘り下げる。自分とは何者なのか。何を好むのか。何を大切にしたいのか。誰と、どういう空間を作りたいのか。過去の"自分"に会いに行く。

すると、"現在の自分"が見えてくる。という趣向。

過去の自分を通して、現在の自分が形づくられてゆくわけですね。

風磨のコンサートは、一貫してそういう形になっており、現在の自分を知るために、彼は過去の自分に会いにゆくし、"自分"を突き詰めることで、実は彼は、"他者"と繋がろうとしているかのようにも見えます。

自分をつまびらかにしながら、おずおずと「みんなもそうじゃないかな?」と問いかけることで、彼は、そこにいる観客たちと、繋がろうとしているかのようです。

彼がここまで"自分"にこだわるのは、そうやってとことん"己"を突き詰めることによって、やっと「僕はこうなんだけど、みんなはどうですか?」と他者に問いかけられる、そんな性分の人だからではないかと感じたし、「やりたいことしかできない」彼は、だからこそ、そのやりたかったことを、ここまで研ぎ澄ませて、見せつけて、やりきって、それからでないと、とりこぼしてきた他のことに、目を向けられなかったんじゃないかと思う。

もう、やりきるしかなかった人だと思うんですよ。

「やりたいことしかできない」人だからこそ、その"やりたいこと"を、自分の好きなスケールで、自分の好きな仲間たちと、自分の好きなノリで、見事なまでにかっこよくやりきって、とことんまで"自分"にこだわって、内に内に向かって、それからやっと"他者"に向かえるし「やらなきゃいけないこと」に立ち向かえる。

そういう人だったんじゃないかなあ、と感じたのです。

わたしはジャニーズWESTのクリスマスに行われたコンサートにて、似たようなエモさを体感しており、しかしジャニーズWESTのそれは、"ドームスケール"の箱にみちみちた、"グループ単位"のそれだったのです。

ああ、これは「区切り」なんだなあ、という体感。自ら「区切り」にきたんだ、という感覚。

わたしは今のところ、彼ら(ジャニーズWEST)のアイデンティティは、まず個の確立よりも「グループとしてあること」だと感じているので、関西ジャニーズJr.時代からのファンを引き連れた7人(と、思い出の)、彼らのお話の一つの区切りは、ドームレベルじゃないと収まりきらなかったんじゃないか、と感じています。

しかし、菊池風磨"個人"が挑んだスケール、好んだ空間は、あそこだったんじゃないかなあ、と思うのです。

あの夏あの空間で、風磨のまばゆい夏のような思春期は、本人の手によって、一旦終わりを告げたんじゃないかなあと。

だから、あえてグループ曲は歌わなかったし、「Sexy Zoneになることが夢」だと、そう語ったんじゃないかと思いました。

とことん"自分"にこだわって、"我"を貫き通して、貫いて、こだわって、貫き通して、その先に、やっと見えてきたものたち。

勝手にそんな感想を抱いた、2016年夏の、菊池風磨のソロコンサート<風 are you?>なのでした。

 

 

 

 

 

 

はい。所変わってケンティですよ。みんなのラブホリ王子ことケンティー。

"個人的"な自分の歴史に終始した風磨コンとは違い、ケンティは"大衆性"を備えた、まるでアイドルの申し子のような人だと感じます。

ただしそこはケンティ、わかってるなと感じるのは、恋人たちには「秘密」が不可欠なこと。特別感を煽るには「限定性」が大切なこと。つまりは、色恋には"閉鎖性からなる親密感"と、"他との線引き"が必要なことをよ~くわかっています。

ケンティは、ハニー(ファン)の前には、(文字通り)バタフライになってあらわれるのです。

はいこれ、まったく笑うところじゃありません。

と言えないくらいには、中島健人のソロコンサートは、ちょっと理解の度を越えた異様な空間なのでした。

 

 

 

ハニー以外から見た<#HoneyButterfly>の世界について。

 

 

 

中島健人のソロコンサートは、この夏、コンサートのためにファンに向けて書き下ろしたという「Hey!! Summer Honey」というOP曲から始まります。この演出がまた素晴らしくて、風磨コンの後に続けてディスクの再生に入ったわたしは、その対照的さに、時間を忘れてひとしきり笑い転げてしまいました。

ケンティが、裏から、会場内を練り歩いてくる様子がまず映し出されるんです。その間に、バックに付いているJr.たちと戯れて、こんな子たちとステージを創り上げてるよーってな感じで、ケンティの座長感がすごい。今から見ようとしているアイドルが、どんどんと目の前のステージに近づいてくるという演出のドキドキ感、それを煽るようなとびきり特別で素敵な今日のための楽曲と、自分たちの今いる会場に、そのアイドルもいるんだという身体的感覚を、視覚により、存分に味あわせる手法。また、単純にその廊下を練り歩く様子のクドさ。

わたしは思いました。

こいつ、サービス精神が半端ない!!!!!!!!!!!!!

いま全力で、全身全霊で、自分のコンサートが始まろうとしているそのことを、懇切丁寧に、丹念に、その一挙手一投足で、一瞬一瞬で、待ちわびているファンに知らしめようとしている!!!!!!!!!!!!

サービス精神が半端ない!!!!!!!!!!!!!!!

自分がやりたいことに終始していた風磨コンとどんだけ違うの!!!!!!!!

もはや過剰!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

お前らそのサービス精神2で割れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そして始まった曲が「Teleportation.」だというから、わたしは仰け反りました。解説するまでもなく、そうしてやってきたと、幕開けを告げる曲なわけです。

内に内に向かっていた印象のある風磨コンとは違って、ケンティは、外に外にというのみならず、その自分という個体の"外"にいるファンが、どのような気持ちでいるのか、どうしてあげたら嬉しいと感じてくれるのか、喜ばしてあげられるのか、気持ちが伝わるのか、もう、ものすごく良く考えていて、それは、ある意味過剰なほどです。

おそらくケンティがオタク気質だからというのもあるとは思うんです。オタクにはオタクの気持ちがわかるからこそ、ケンティのあのクオリティは成り立っていると思うんです。そういう自分が好きなのもあると思うんです。

でも、それでも。

ケンティの面白さは、その"過剰さ"にあるんだとしみじみと感じました。

だって、ぶれない自分のビジョンがあるからこそ、一貫してコンセプチュアルに進んでいた風磨コンとは違って、ケンティコン、もう、支離滅裂なんですよ!!!情緒不安定で、しっちゃかめっちゃかなんです!!!ついには、ケンティのアイドル芸が行きすぎて、なんだかキャラクターじみて見えてくれば、エレクトリカルパレードみたいな感じでNEWSの「Touch」が始まるし(すごく良かったです)、まず本人の存在自体が大ボケなのに、岸くんというボケキャラを二番手に据えてJr.も突っ込む余裕がないから、ボケボケだらけでステージ上が収集つかないし。

しかしそれらはすべて、彼のサービス精神ゆえなんじゃないかと感じました。これも見せたい、こういうのも見たいんじゃないかな、これも入れたい。これもしたい。

過剰なのが面白くて、溢れんばかりの濃い挙動と、磨き込まれたキメ顔角度に流し目。指先まで意識の行き届いたダンスにポーズ。クドいサービス精神が愉快で、グループ曲を歌っているのも良いなと感じたし、あとはそういう、たくさん乗せよう豪華にしちゃおうそれならハニー喜んでくれるかな?みたいなアイドルだからこそ、メドレーのキラキラ感、美味しいとこ取り感がものすっごく良かったんです。本人の姿勢にとびきりマッチしていて。

ケンティって、度を越えてるからこそ良いんだと思います。